ついつい

見てしまう忌野清志郎の動画。
あまりに格好良くて、見出したら止まらない。声が好きなのだ、といったんは思うものの、いややっぱり・・と理由は全くまとまらない。説明のつかない惹かれ方は恋愛のようで、ああそうか、と青山葬儀所の長蛇の列を理解する。


どういう歌詞をよい歌詞というのか、知らない。
「歌詞がいいよね」「グッとくる」のような、逃げの褒めを抵抗なく使えるほど、私はあっけらかんとした性格でもなく、かといって、歌詞を語る言葉や、条件を持ってもいないので、「この歌詞が好き」ということはできるだけ避ける。
とはいえ、今まで、常日頃好きな言葉の連続、すなわち、単語の選択と組み合わせのセンスがもたらす、おかしみ、バランス(非バランス)、美しさといったものの延長線上にあるものとして、好きな歌詞はあった。はっぴいえんどとかはそうだったような気がする。
今回清志郎の歌詞を聴いていて、スローバラードの歌詞をすごくいい、と思った。でもその理由は、私が今まで歌詞を好きと思うときの理由とは違った。先に書いたようなよさはもちろんこの歌詞にもあるのだけれど、この場合、それよりももっと、素直でシンプルで抒情的であることに惹かれた。歌詞がいいってこういうことなのだろうか、と少し思った。


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昨日はクルマの中で寝た
あの娘と手をつないで
市営グランドの駐車場
二人で毛布にくるまって

カーラジオから スローバラード
夜霧が窓をつつんで
悪い予感のかけらもないさ
あの娘のねごと聞いたよ
ほんとさ 確かに聞いたんだ

カーラジオから スローバラード
夜霧が窓をつつんで
悪い予感のかけらもないさ
ぼくら夢を見たのさ
とってもよく似た夢を

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具体的な幸福を語りながら、夢心地で、弱々しく、
その優しさが心に長いこと残る。